大河ドラマ「軍師官兵衛」中国大返しでの調略
今日は、大河ドラマ「軍師官兵衛」について書いてみたいと思います。
先日20日に放送されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の平均視聴率が、関東地区、関西地区のビデオリサーチで20%近くとなり、放送開始以来最高の視聴率を記録したようです。
この日の放送は、本能寺の変の直後、備中高松城攻めに出陣していた羽柴秀吉が、いち早く京に戻り、そして誰よりも早く明智光秀を討つために、秀吉の軍師の黒田官兵衛が毛利側に調略を行うという内容でした。
秀吉軍は、高松城攻めを一刻も早く終わらせ、毛利から追撃されないように京に移動する必要がありました。
ここで黒田官兵衛が行った調略は、毛利の本領安堵と高松城主清水宗治の自害を条件に、毛利と和睦をすることでした。
清水宗治の自害については、引き換えに、高松城攻めの取りやめと城内の者全員の命が 助かることが条件でした。
毛利側は当初、清水宗治を自害させることを拒みましたが、清水宗治はこの条件を受け入れて自害し、これにより和睦が成立しました。
特に面白かった場面は、和睦成立後に毛利の陣に出向いた黒田官兵衛が、毛利側の大将の一人である小早川隆景に対面する場面でした。
小早川隆景は、これより前に和睦が秀吉側の調略だったことを知っていたので、黒田官兵衛に会うや大いに憤慨をしました。
しかし、ここで、黒田官兵衛は、小早川隆景に対し「ここで事を構えて遺恨を残すか、それとも我らに恩を売り、共に乱世を終わらせるか。」と選択を迫りました。
それに対し、小早川隆景は、「毛利は天下を取ることを望んではならない。それが亡き父、元就の遺訓である。羽柴殿と和議を結び本領が安堵された今、大義なき者に就いて世を乱すことは、毛利にとって何の利もない。」と、官兵衛に返答し、秀吉側に恩を売ることを選びました。
そして、隆景は、官兵衛から所望された毛利の旗を秀吉軍に渡しました。
毛利の旗は、毛利軍が秀吉軍に加勢しているかのように見せかけるためのものでした。
また、その後、隆景の兄の吉川元春が、秀吉側の調略に気づいて逆上し、秀吉軍を追撃しようとしたところでも、隆景は、元春に対し、「毛利は一度成り立った和睦をたやすく裏切るわけにはいきません。
ここは秀吉に恩を売るのが得策かと思いませんか。無益な戦を避けるため、毛利が生き残るため、清水宗治は腹を切ったのですぞ。己の命をかけて多くの命を救おうとした清水宗治の意思を踏みにじるおつもりか。」と 説得し、毛利軍の追撃をやめさせ、秀吉の中国大返しを手助けしました。
このような隆景の行動が、後に、隆景に対する秀吉からの評価を高めることになったのだと思います。
これから、場面は秀吉の時代、家康の時代へと入っていきます。
これからもこのドラマは面白い内容になっていくと思います。
以上、錦戸勝彦の大河ドラマ「軍師官兵衛」についての記事でした。
2014年7月26日